日本語教師=先生
先生=勉強を教える人
勉強=おもしろくないもの
学習者の勉強に対するイメージって、こんな印象が強いかもしれませんね。
確かに私たちが中学校、高校、大学で授業を受けている時は、
おもしろくないことをおもしろくなく説明する、こんな先生がいたかもしれません。
その結果、その教科の勉強だけ嫌いになったり、その授業中は寝ていたり・・・、そんなこともあったと思います。
しかし、学習者は学校にお金を払った「お客様」です。
そしてその決して安くないお金は、お客様が受けるサービスの対価として支払われたもの。
もしお客様がお金を払ったのに授業に満足しなかったら、それは本当の授業と言えるのでしょうか?
・・って思ったこと、ありませんか?
では、お客様に満足いただけるいいサービス(学習者に満足してもらえるいい授業)とはなんなのでしょうか?
当然、プラスになるもの、ためになるものでなければなりません。ためになる日本語の知識、ためになる日本語上達のための練習。しかしこれだけでは完璧とはいえません。
たとえば、いくらいい大学を出ている先生、いい研究をしていい論文を書いているえらい学者、海外で経験を積んだり、日本国内で長いキャリアを積んでベテランと言われている教師の方々が、授業中にありがた~い知識、高尚なお話、ためになる練習をたくさんしても、学生に「この先生の話をもっと聞きたい!」「この先生に習いたい!」という気持ちが出てくるような授業でなかったり、学生に「つまらな~い」と思われてしまうような授業なのであれば、それは全く無駄なものになってしまう。だって、だれも聞いていないのですから。
そうです!そこに「おもしろくて興味を引くもの。」という大前提がなければならないのです。
できることを何回もぐるぐる練習するのは、おもしろくない。
でも、難しすぎて難易度が高すぎることを、ドカンと学習者にぶつけても、消化不良になってしまう。
では、どんな授業がいいんでしょう?あなたはわかりますか?考えてみてください。
*ヒントとなるキーワード
→ 難易度、i+1、教科書レベルではない授業、その授業での最高到達ポイントはどこか
これはそんな難しいことじゃありません。
たとえば友達同士で飲み会に行った時、その飲み会のグループの中で
1. 盛り上げ役、仕切り役の人
2. だまって一人で飲む人
3. 気に入った友達とだけ話を弾ませる人
・・・いろいろいると思います。あなたはどの人ですか?
これは飲み会の話ですが、
クラスの中にはいろいろな学習者がいます。
中には友達をうまく作れない人、がんばってもがんばっても日本語能力が上がらない人、学校が終わったあとで、アルバイトで嫌な思いをして、日本が嫌いになりかけている人もいるかもしれません。
でもどんな学習者でも
「学校に来れば楽しい」
「(日本語がわからなくても)先生に会いたいから学校に来る」。
・・・こんな先生なら、学習者の成績もたいていそのうちプラスに転じてくるものです。
我々は①と②がそろっていれば、学習者の人に達成感を与え、
満足度120%を与えることができるのではないか、と考えています。
・・・だから、当校には①と②がそろっている授業を目指す先生だけが集まっています。
①に関しては、研修や勉強会を行い、より高い技術を目指しています。
②に関しては、授業見学でいい先生の授業を見るなどして、お互いに総括しあいながら、個性を生かしたクラス運営、雰囲気作りを目指しています。
高度な知識より、まずは人間性優先。みんなに好かれる人でなければ、言葉の通じない学生から好かれるのは無理です。逆に人間性に優れていれば、技術は必ず後からついてきます。
こんなこと考えたことありますか?
今まで「日本語教師なんだから、日本語を教えていればOK」と思っていらっしゃった方、ちょっと考えてみましょう。
日本語学校に来る学習者は、そのうまくなった日本語で、何がしたいんでしょうか?
確かに、テストでいい点を取って、日本語能力を測るのも大切な目標です。でもこれだけだったら、国の日本語学校で勉強していればいいですよね。何も高いお金を払って日本に留学する必要はありません。
なるほど。いい大学に入れば、いい企業に入れる可能性が出てくる。
国で働くより箔がつくし、いい給料で働けるかもしれない。・・・学習者の中には、最初はこれぐらいの考えで、具体的な目的を持たず、「どこでもいいから上位の大学」「どこでもいいから日本の企業」ぐらいに考えている学生がたくさんいます。
では、日本語の能力が高ければ、それだけで日本のいい大学(上位の大学)に入ったり、いい会社(優良企業、大手の会社)に入ったりすることができるのでしょうか?日本の大学や企業、特に「上位」と言われる大学や企業は、日本語がうまいだけの外国人を求めているのでしょうか?
留学生が日本の大学や企業から求められている能力は、日本語の能力はもちろんですが、それだけではない。
ではそれはいったい何なのでしょうか?
そうですね。日本にもたくさん文化がありますから、それらを勉強して、体験して・・・、
・・・ちょっと待ってください。そもそも「日本の文化」ってなんですか?日本の伝統芸能ですか?相撲と華道と茶道と空手と着物と寿司と・・・。
いえいえ、そうじゃなくて、最近のPOPカルチャーと言われるアニメや漫画やドラマや映画について勉強したい。
・・・なるほど。夏休みのサマースクールで短期留学しにきた留学生には楽しんでもらえる内容かもしれません。これも日本の立派な文化です。でもこれから日本の大学、企業に入りたい留学生は、「日本にはこんな文化があります。体験もしました。素晴らしい文化だと思いました。・・・終わり。」で終わっていては困ります。
また、文化ってそんなに簡単に定義できるものじゃありません。私たちの生活の中には、言葉では言い表せない文化、説明のしにくい文化、「肌でしか感じられない文化」のようなものがたくさんあります。
要するに、日本語教師の使命とは、単に日本語を教えればいい、学習者の日本語能力を伸ばせばいいということではない、ということが言えます。
当校の学習者の多くは日本で進学したリ、日本企業に勤めたり、帰国して国で日本人と一緒に仕事をしたりします。その時に日本語だけじゃない、プラスαの能力が求められる。
そしてそのプラスαを、日本の大学も企業も求めている。そして我々日本語教師は、それを日本語学校にいる間の2年間に、学習者に会得させなければならない。
じゃあそのために、我々日本語教師は何をすればいいのでしょうか?あなたはわかりますか?
日本語教師が100人いるとしたら、その中でこの答えをちゃんと分かっている日本語教師が何人いるでしょうか?
なんとな~く「異文化交流」「国際人育成」ともっともらしい答えは言えるかもしれませんが、じゃあ具体的にそのために何をすればいいのかわかっているのでしょうか?
次週の授業から、何を変えればいいのでしょうか?教科書を教えるだけではだめなんでしょうか?では何を使って学生に何を課せばいいのでしょうか?
当校にはその答えをちゃんとわかっていて、それを学生にきちんと伝えられる教師がいます。
そして経験がある教師もない教師も、教師全員がこれがわかるように、できるようになることを目指しています。
確かにこれは、教科書を読ませて、問題をやらせて、漢字を覚えさせ、文法の説明をするだけよりも、もっと面倒くさいことかもしれません。しかし人間電子辞書状態で、日本語を解説するだけの先生なら、さっきも言ったように、学習者の国にもそれなりの先生はいるでしょう。
それに、学習者の真のニーズに応えられてこそ、真の日本語教師といえるのではないでしょうか?
人がその能力を伸ばす時期というのは、一定ではありません。日本語能力もそうですし、留学生も例外ではありません
たとえば、初級の構造シラバスの教科書では、全く勉強しなかったため、力もあまり伸びず、やる気も見せず、いったいどうなることかと思っていたら、中級になっていろいろテーマ性のある文章を読み始めたとたんに、いきなり自分の意見をどんどん言うようになり、それに伴って日本語力が飛躍的に上昇した学生とか、日本語の授業では、特別目的も持たず、なんとなく授業を受けていたのが、日本留学試験(EJU)の総合科目で憲法や経済を勉強し始めたとたん、とても日本の社会について興味を持ち始め、新聞を毎日読むようになり、それに伴って日本語力も伸びを見せた学生とか・・・いろいろな学生がいます。
急に伸び始めること、これを我々は「覚せい」と呼んでいます。
もし、これらの「覚せい」を起こした学生の担当教師が、日本語の点数でしか能力を測れない教師だったら、どうなっていたと思いますか?
おそらく学生の変化に気がつかず、「日本語をもっと勉強しなさ~い。」とその学生を注意し続けていたことでしょう。そしてその結果、学生のモチベーションを下げ、その学生の「覚せい」は覚せいしきることなく、途中で終わっていたかもしれません。それは結果的に学生の可能性をひとつつぶし、学生の人生を変えてしまうことになったかもしれない。
現在、日本の大学の留学生のための入試は、「外国人特別選抜」という枠が設けられて行われています。
日本人の一般入試のような、いわゆる知識を問うだけのものではありません。もちろんそこはまず日本留学試験(EJU)などで、日本語能力が測られますが、日本留学試験(EJU)の点数が高いだけで入れる上位の大学はほとんどありません。
日本語力と同時に求められるのは、学習者の「人間力」です。
一番嫌われるのは、国で机に向かって勉強しかしてこなかった学生。
日本に来てから、学校と家の往復しかしてこなかった学生。
日本語の点数はとてもいいけど、何に対しても何の興味もなく、大学をただのブランド品のように思っている学生。
・・・これはいくら日本留学試験(EJU)の点数が高くても、特に上位の大学になればなるほど、こういった学生は嫌われます。
しかし、日本でも一般入試でなく、推薦入試で大学を目指そうと思ったらどうでしょう?
成績のほかにクラブ活動の実績やボランティア、その他趣味について、興味のあることについて何か言ったり書いたりしなければならない試験が課せられるのではないでしょうか?それと同じです。
日本企業も、日本の大学も、自分の会社の日本人の社員、日本人の学生に有益になる外国人をとりたいと思っています。有益になる外国人・・・それは「日本人にいい刺激を与えられる外国人」です。
日本語が上手いだけの外国人が日本人に、何の刺激を与えられるでしょうか?問われているのは、異文化で育った彼ら特有の、日本人にはない視点、感性、そしてそこから生み出される意見、アイデアです。
日本語がまだまだ頼りない留学生を、日本語の点数以外の部分で見て、「いい感性だ」「いい視点を持っている」などということがわかる日本語教師。
これは、そういうアンテナを持った教師になりたい、学生の隠れた力を伸ばせる教師になりたい、という意識をもった教師でなければ、できるようになりません。意識があればあとはそこから勉強するだけです。学歴もキャリアも関係ありません。むしろいろいろな人生経験をお持ちの先生の方が、できるようになる可能性が高いです。
しかし、それには自分一人で「なりたい!なろう!」とあがいていても、徒労に終わるかもしれないし、とても時間がかかるかもしれない。うまく導いてくれる先輩、見本となる教師が近くにいることが望ましい。